よもやま
数年前にアメリカ旅行をした際、私が何気なく入った雑貨店でのこと。そのお店にはインド人の女性オーナーと数人のスタッフがいました。真っ白くシンプルで清潔な店内には、エキゾチックな柄の更紗生地や、その布から作られたモダンな生活雑貨や洋服が小綺麗に並べられていました。商品に見惚れる私に、オーナーは話しかけてきました。私は自分が日本人の旅行者である事を話し、少し世間話をしました。彼女は品が良く、気さくで、穏やかな雰囲気を醸し出している方でした。そして、話し終わった私はオーナーにさよならを言い、何も買わずに店を出ようとした時、彼女は私にミラーワークが施されたキーホルダーをプレゼントしてくれたのです。私が受け取れなと言っても、彼女はいいのいいのと半ば強引に私にキーホルダーを受け取らせました。私はそのキーホルダーをとても気に入りました。帰国後、何年たってもその女性オーナーとの出来事が私の頭の中にありました。
私は服飾の学校を卒業した事もあり、洋服や布雑貨を作ることが好きです。ところが、自分の好きな布に出会う事が難しく、布探しにフラストレーションを抱え続けていました。同時に、私が普段何気なく気に入って購入していた布雑貨がインドのブロックプリント生地から作られている事を知りました。
そこで、前述の女性オーナーとの出来事もあったので、私は興味を持ち始めたインドに直接布を探しに行く事を思いつきました。『インドに行く時は、インドから呼ばれた時だ』という言葉を聞いた事があります。私にとってはそれが『今』だと直感しました。
インドでは、様々な技法や柄のハンドブロックプリント生地(木版更紗)に出会いました。繊細な植物柄、宗教的な幾何学模様、プリミティブで大胆な模様…私の心はブロックプリントに魅了されていきました。
さらにインドにあるのはブロックプリントだけではありませんでした。手紡ぎ手織りの織物(カディ)や様々な特徴を持った刺繍、レザークラフト、ペーパークラフト、メタルクラフトなど、インドは素晴らしい手仕事で溢れていたのです。見るもの全てが私の心を動かしました。
コットンのカディを身にまとえば、それは肌の上で軽やかに踊り、サラっとした着心地によって “そこはかとない幸福感”を与えてくれます。
田舎のコミュニティを訪れれば、彼らは私をランニングステッチを施した手縫いのキルトマットの上に座らせてくれます。それは来訪者を歓迎する村人たちの気持ちが表れているようです。
乾燥した大地の砂で布を防染し、植物からいただいた色で布を染め、太陽の下に布広げて乾かすブロックプリント。そしてそれぞれのコミュニティで発展した刺繍の中に、彼らの生活が投影されていました。
インドの田舎で、生活の中に必需品として存在している全てのものが、この世に1つしかない手作りの宝物のように私には見えました。
ところで、私は1つの出来事を思い出します。今から20数年前、東京の3年制の服飾デザインの学校を卒業し、アパレル会社に勤めた時の事です。その時の私は、機械から生み出される量産品に居心地の悪さを感じていました。さらに怒鳴り散らし、男性社員に手をあげる社長に恐怖を感じ、終電や始発で帰る毎日に心身共に疲れ果て、半年も経たずに体調を崩しました。それきり、アパレル業界とは距離を置いて過ごしてきました。
ところが、インドに行き、インド人のモノづくりの現場を見ると、私が経験したのとは全く違う景色が広がっていました。インドの人々は太陽や風、大地、植物の恩恵を受けながら、自然とともに呼吸をし、そのリズムでモノづくりをしていました。それは単にアナログなだけではなく、科学的根拠に基づいており、製作工程には無駄がなく洗練されていました。
私はなぜアパレル会社であんなに切迫した気持ちで好きな洋服に向き合わなければならなかったのか。そして、それを続けられなかった自分を攻めたり恥じたりしなければならなかったのか。
全く文化の異なるインドで、私はモノづくりの喜びに再び触れる事となりました。この気づきは、私にポジティブな影響を与えてくれました。ちょうど私生活でパートナーとお別れした事もあり、これから先の人生に少なからず不安を覚えていたところでしたが、インドのクラフトは私に好きなものを再確認させてくれて、生きる目標を与えてくれたのです。
ところで、以前、国別の世帯人数の統計を見た事があります。先進国ほど、単身世帯の比率が高く、日本も全世帯数の1/4が単身世帯となっています。私は小さい頃から寂しがり屋だったので、中年の自分がまさか単身でいるなんて、想像した事はありませんでした。ですが、この数字を見たときに、なんだかホッとしたのを覚えています。世の中には自分と同じような人がたくさんいて、私はことさら自分だけが1人の寂しさを意識して抱え込む必要はないのだと思ったのです。そしたら、家での1人の時間がとても楽しく、充実したものへと変わりました。
ただし、他者との関わりがあってこそ、1人の時間も充実したものになると私は考えています。例えば、欧米の場合は教会に関する様々な行事が人と人を繋げる場になっているのに対し、日本では他人との関わり合いがほとんどなく、孤立している単身者が多いようです。私は「日本人は友達作りに消極的だ」という声をそれが日本人の代名詞だと言わんばかりに何度も海外の人から聞いてきました。それは、新しい人が入ってくるのを拒む風土がある事も関係しているように思います。